太良町町勢要覧
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豊かな自然を活かし自慢の逸品を作り出す 父の代からみかん栽培をはじめて私は2代目です。他地域に先がけて9月に出荷する「大浦早生」が日本一になってから「たらみかん」は全国で取引されるようになりました。 しかし、他地域も似たものを作るようになったため、早生みかんに加えて八朔、甘夏までの合間を埋める晩成型のデコポンや清見の栽培も始めました。こうして時代と市場のニーズに応えながらみかんの栽培を続けています。 消費者のニーズは多様化し、作っていれば売れる時代ではなくなりました。今の若い人は酸味を嫌い、サラッとした口当たりのみかんを好みます。私たちはやや酸っぱさのある方が柑橘類らしいと思っていましたが、市場のニーズとは異なります。そしてまた安ければ売れるという時代でもありません。私たちみかん農家は既存の考えやスタイルから脱却し、「売れるもの」を作っていかなければ…。幸いなことに太良町には「道の駅太良」があり、農協に出荷する一方、少量をそこで販売することで消費者の皆さんの好みを知ることができます。温暖化によって栽培が年々難しくなってきていますが、伝統を守りながら新しいものにチャレンジし、減農薬を進めて消費者に愛されるみかんを作っていきたいと思っています。 多良岳の丘陵地を活かして栽培される「たらみかん」。佐賀県内トップのみかんの生産量を誇り、まろやかな甘さと酸味のバランスの良さが特徴です。戦前から栽培が始まった「たらみかん」は戦後大きな産業になり、その後、早い時期の出荷を望む市場の声に押され、昭和55年に「大浦早生」が誕生しました。これにより太良町は日本一の極早生みかんの産地として衣替えし、「たらみかん」の名声を確立しました。今では9月から5月まで味わえるさまざまな品種のみかんが栽培されています。たらみかんその歴史は…太良だからできるまろやかなこの甘み消費者の好みを把握し売れるみかん作りへ山田公寿さん山田公寿さんみかん達人達人太良町の達人太良町の達人8昭和30年代の針牟田地区。いも畑の中にみかんが植栽してある。視察者が全国各地からバスで訪れた。昭和30年代のみかんの植え付け(深耕)作業。

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